2019/01/20

無駄に見えるもの

ぐだくだ考える時間は結構大事だけど、ひとりで考えすぎると思考がかたまりすぎてしまう。でもだんだん、人と話すのはだるくなってしまうし、人と話しても同じような意見の人の話が耳心地がよくなってしまう。
そんなことをずっと考えていた。


うまく寝られなくて深呼吸をして寝ようとしたらこわい顔が頭に浮かんでしまった。寝る寸前に見る現実と夢の境の住人は奇妙な見た目をしていて、私はいつもそれに怯えている。うまく寝られてしまえば追い払えることはわかっているし、夢の中までは追ってこられない。脈はどんどん速くなり、呼吸は浅くなる。大丈夫、大丈夫と自分に言うが別に大丈夫ではない。しばらく違うことを強制的に考えていると、いつのまにか眠っている。

幼少期の印象的な夢は、天井知らずの高さの岩のような壁のようなもの(うまく説明できない)に延々と迫ってくる夢。逃げても逃げても、音もなく私を追ってきた。そういう夢を何度も何度も繰り返し見た。
ハッと起きて豆電球だけがついた部屋からなんとか抜け出して、両親の部屋に行った。両親に「こわい夢を見た」と言っても、眠そうな声で少し相槌を打つ程度で、全然取り合ってくれなかった。さみしくて仕方なくて、私はベッドの隙間に潜り込んだ。鬱陶しがられながら、隙間にいてもさみしいと思いながらしばらく考え事をして、やがて眠りに落ちた。

そういうことをしつこいほどに繰り返していき、やがてこわい夢を見ても親は取り合ってくれないからとひとりで泣くようになった。この得体の知れない恐怖に付き合ってくれる人など誰もいない。脳内の映像は誰とも共有できない。不安や恐怖は抱いてはいけない感情なのではとも思った。


最近の思考を書いてみた。
他人にわかるように書くのは難しい。
でも丁寧に書いていくと自分の思考の癖が少し見えてくる。

もう少し生きやすくなるといいんだけど。