21日のはなし。
前日からとても胃が痛くて胃薬をぶちこみ、歌って、終わってからも胃薬をぶち込みまくった。
世界のあーちゃんさんとバンドのはなしなんかをする。沢山はなしてくれるのでとてもたのしい。
榎本美幸さんと鉄道のはなしをする。小和田駅(過去記事参照)のはなしとか、東横線が伸びるはなしとか、大井川鐵道のはなしとか、鶴見線のはなしとかをする。胃が痛いのを忘れるレベルで話す。話す話す話す。こんなに鉄道のことを話せるのはめったにないからとてもたのしゅうございました。
しばらくパソコンに向かう気力がなかった。
iPhoneにあるメモには「言葉をなめてる 本質的にゆるすということ 行動の裏には感情があるということをわかっていない アホか」と書いてあったりする。
私は歌詞において矛盾を発生させたくない。それが第一にある。
「ゆるす」と言っておきながらそうではない言葉を並べ立てる歌が多すぎる。
普段から「ゆるす」ということがどういうことなのかを考えていないくせに、歌をつくる時になって急にそういうことを書くから矛盾が生じるのではないかと思っている。音楽をやるひとは音楽だけ聴いていてはだめ。もちろん音楽を聴かなくてもだめ(割と耳が痛い)。一見全然関係がない分野から自分が作る(作りたい)もの(こと)を見ることで、筋が通ったものが作れるようになるのではないかと思う。
ヒー、自分で書いててこんがらがってきた!!!!!!
あとどーなのよと思っているのは、実際の歌詞を出すとアレなので極端な感じででっちあげると、「冬の夕方18時の夕焼け」とか、実際の現象を無視してる歌詞。ファンタジーチックでぶっとんでるんだったら全く問題ないと思うけど、おそらくこれは実際の現象として書いてるけど、おやおやおかしいぞ??ってなるのはちゃんと現象を観察してくれ!と言いたくなる。とか言って自分の歌詞にもありそうでこわい。
自分の歌詞でどうなのよと思っているのは「日傘を差した貴婦人」の中で貴婦人は電車に乗るのだけれど、本物のお金持ちは電車に乗るのか・・・?という点。自分の中では、貴婦人にはもちろん運転手はいるけれど、その手を借りずに行きたいとか秘密にしているとかそういう事情があるという風に思っている。しかしこれも取ってつけたもので、最初はそんなことは考えていなかったわけだ。あれ、なにが書きたかったんだっけ。
(ブログなんか書いてないでやることやりなさいよだうみさん・・。はーい。)
ではまた!