命日でもなんでもないし死んだのは3月の終わりだけど書く。
忙しくて仕方がない時にうちの猫が死んだ。なんだ、猫かよって思った人は別に読まなくていい。
私が生まれた時には既に猫がいて、その猫が死んでもまだ2匹いるから私は猫がいない暮らしをしたことがない。3匹が2匹になったらそうさみしくないように思うかもしれないが、さみしいものはさみしくて、電車の中で突然ぼろぼろ泣いてしまうことが数ヶ月続いた。
18年も生きたら大したものだし、死ぬ少し前から弱っていたから死ぬことはわかっていた。そういう意味では家族は心の準備ができたから幸せだったと思う。猫が幸せかどうかは知らない。彼らの価値基準に幸せというものがあるかどうかはよくわからない。最期に美味しい物を与えられてよかったんじゃないかなーくらいの憶測はできるが。
猫が死んでしばらく落ち込んでいた私に某少年がかけた言葉は「変わらないものはひとつもない」という言葉だった。彼は変わらないことだけを変えずに生きているように見えるし、変化を求め続けるからこそ凄まじい勢いで成長している。
あの時の言葉はとりあえず私に何か言いたいだけで発したのかもしれないが、彼の現在の成長っぷりははったりではなかったことの証明だ。そんなこと言ったことすら彼は忘れていそうだが・・。そしてこの5年弱(あってるかな)、私はその言葉を頼りに生きてきた節がある。一種のあきらめの魔法とも取れるし、希望とも取れるし絶望とも取れる。言葉は知らず知らずのうちにひとの中で生きるのだ。