2020/10/27

cure

 気温ばかり見ていて肝心の天気そのものを見ていないということを最近よくやってしまう。

玄関を出て、雨やんけと思って傘を取り出すが、靴も替えなきゃいけなくて時間をロスする。

最近は時間に余裕をもって準備することが多少できるようになった。できない時も多々あるが。


数年前の私は偏頭痛に悩まされていた。

某小売店に勤務していたのだが、明らかに私を避けているというか無視している女性がいて、それでも私は挨拶しつづけた。虚無に浮かぶ「おはようございます」は私の脳に突き刺さって抜けなくなった。脚を動かして血流をよくしている間は痛くないことに気がつき、よく動かしていた。奇妙な動きをしながら作業をする私を見て、彼女はさらに苛立ってはため息をついた。苛立って爆発しそうなのは私の方なのに、何も気がついていないかのように振る舞い続けた。

何故そんなことを思い出したのかというと、多分それが秋の出来事だったからだ。この気温、雰囲気、冬へ向かって寒さが増していく予感……そのあたりのあれそれが基本的には眠っているはずの記憶を呼び起こす。

その後数年も、毎年きっかりなかなかエグいエピソードが発生しては私史を塗り替えてきた。去年の今頃の出来事からは、実は全く立ち直れていない。年を取るにつれて回復が遅くなっている気がする。おいしいものを食べて気を紛らわすといった手法も、食事の制限が多い身にはそれ自体がストレスになるような例もあり、なかなか難しい。


今の家に引越してきて大体半年が経った。

あまりにも対応が遅くてカタツムリと罵っていたインターネットがやっと開通し、ツイキャスの最中に回線がぶった切られる心配はなくなった。

実は家具が揃いきってなくて、早く揃えたいと思いつつなんとなく暮らしている。お金の問題というよりコミュニケーションの問題という感じだが、家具が揃いきらないのがこんなにストレスだったのかという気づきがある。

以前、引越してきたこの町に馴染めないと書いたが、馴染めない自分に慣れてきた。この町には俗に言うところのマイルドヤンキーがいない気がしている。よそものと地元民の区別がない町はフラットで暮らしやすいように見えて、びっくりするほどただ淡々と日々が過ぎていくだけなのだ。特に今年は祭礼の類が軒並み中止なこともあり、町の平常時とハレの日の温度差すらわからない。みんながみんな、仕事に行って疲れた帰り道にスーパーで食材や惣菜を買って風呂に入ったり入らなかったりして眠りについて……なわけではないはずなのに、それ以外の生活があまり見えてこない。都市計画で平たく整備された町の中にも本来ならあるはずのものも見えにくくなってしまっているのだと思う。いやもしかしたら都市計画で街並みも人々の生活スタイルも思考も全部ローラー式に平らにされてしまったのかもしれないが。いつか町と人の個が見えてくるだろうか。


深夜と呼ばれる時間になってから眠り、数時間で早朝覚醒をしてこれを書いた。今日は夢と現実の区別がつかなくて数分混乱していた。数十分経ったら何が混乱する要素だったのかも忘れた。忘れていくくらいがちょうどいいことだった、ということにしておこう。