2015/06/30

駄文

ヘロンへろんへろん。特筆すべきことがない。疲れがひどい。曲ができない。すごくねむい。そんなところかな。

2015/06/25

私じゃなくていい

「私は私じゃなくていいから価値があるの」という歌詞を書いた数ヶ月後、「私以外私じゃないの」と歌う曲が発表された。
私は私以外で代替可能なアルバイトをして、引っかかる人が少ない音楽をやって、代替不可能な人間関係の中で生きている。でも、私は私じゃなくていいと思う。私は特別なんかじゃない。だからこそ生きていることに価値があり、必要とされるのだと思う。それに気がつくまでに時間がかかりすぎた。

眠ったり起きたり体調を気にしたり、人の精神の心配をしたり猫とお話したりしなかったり、煙草を吸ったりお酒をやめたり、歩いたり少しだけ走ったり、薬を飲んだり飲み忘れたり、まぁいろんなことをして過ごしている。他人からしたら全部同じ。あってもなくても、ヒトが一人いるか・いないか。
中高生の時、川沿いを散歩するのが好きだった。だったという過去形だと今は嫌いという意味にとられそうだが、単純に時間が取れないだけである。川沿いを歩く時は大抵父親と一緒だった。よく歩いていた川沿いにはヒトや鳥や虫や猫などがいて、少し離れた、知らなくはないけどそこまでなじみがない町の店でおやつを買ってぬるい会話をした記憶がある。もはや何を話したか覚えていないような、些細な会話。
今は父親と一緒に住んでいないし、週末に会っても挨拶とすこし話すくらいだけど、別にさみしいなどと思うわけではない。父親は私の父親としては唯一の人間で代替不可能だけれど、ただの人間でしかないのだ。それに気がついた私はきっと強い。どこへだっていけるよ。

2015/06/19

健康への欲望

差し迫った不安をどうにもできなくて、毎日耳栓をして寝ている。タオルケットを抱きしめて、洗剤の匂いを確かめているうちに眠気がやってくる。睡眠と上手くやれないけどどうしようもなく必要で、これが人間だったら共依存なんだろうけど、人間じゃなくてよかったな。今日も沢山寝たけど寝足りない。不安は増大していく。

という文章をオールナイトイベントに行く前に書いた。
全然眠くならないし、お酒を飲まないから気持ち悪くもならずに、酔っているひとたちと楽しくおしゃべりをして
カレーを売って、帰宅。お酒なんて飲まなくても案外生きていけるっぽい。帰って寝たら小中高の記憶総ナメの夢を見て疲れた。起きたら動悸だった。うーん。

もう次作のことを考えている。誰に求められているんだとか思ってしまう。そんな風にうじうじしていると、ずっといま応援してくれているひととまだ見ぬ人たちをイメージしてやってきたじゃないかぁぁと!!私の中の松岡修造的な何かが喋り出して大変暑苦しい。(などと書いていたらバイト先になぜか松岡修造のカレンダーがあって「君は今日から噴水だ!!!」というページではてなマークが沢山浮かんだのを思い出した)
といった文章をだらだら書いても動悸は止まらず、もう一回寝るかハーブティーでもいれるか、私は判断を迫られている。健康になりたい。

2015/06/16

東・京

東京という街について考え始めたのは割と最近な気がする。

□□□は「僕はこの街を愛してる」と断言し、わたしはタイトル以外に東京を使わずに東京を歌った(そもそもそんな曲があることをみんな知らないだろう)。

東京は冷たい街だとか勝手なことを言いますけど、東京は田舎から出てきた人たちの集まった街ですからね。人間の欲望が渦巻いた結果がこれよ。

電車でうたたねをしていたら自分のおしりに知らない男の頭がくっついていて一瞬にして目が覚めた。気持ち悪すぎる。どこまでも自由なやつらめ。

ドットの靴下をはいているとドットの部分が足を刺激してとてもかゆい。捨てたい。

2015/06/13

やさしくない

そんな、嫌いな人に労力使わなくていいじゃないですか。
でもむかつくじゃないですか、のうのうとしてるのを見ちゃうと。
まぁそうですけどね。




というわけで辛辣で闇ポップなPVを公開しました。
一番届いてほしいひとになにがなんでも届いてほしいからだめもとでRTしていただけると届くかもしれません。届かないかもしれません。
一番届いてほしいひとはえぐられてほしい、どこまでも。それ以外のひとは楽しんでほしい。
沢山のメタファーと嫌味を埋め込んだので、何度も見て新しい気づきを得てほしいです、勝手なはなしだけど。




https://www.youtube.com/watch?v=p2ffbWhg0ds&feature=youtu.be

2015/06/11

私書箱

よく考えてみたらストレスなんてもうバイトしかないのだった。お酒もカフェインも抜いて、それでも朝の動悸がひどいのは明らかにバイトのせいなのに、どうして気がつけなかったんだ。
祖父の見舞いの為に少し休んだ結果がこれってどうなの!と思うし、バイトをすぐにやめられるような状況ではないし、現在進行形で眠いし、こまったものである。

2015/06/05

あきらめ

歌うのやめて世田谷線のアテンダントになろうかなぁとかぼんやり考えていたけど今年の募集は終わっていた。

可愛いとか可愛くないとか、そんな土俵でたたかわずに済んだらいいのに、才能が足りなすぎた。曲は沢山できるけど、発表できるレベルにもっていけない。iPhoneの録音ばかりがたまっていく。

こわい夢を見た朝の二度寝への恐怖と眠気の拮抗。運命は選べないようでいて、私たちは選択の繰り返しで生きている。わずかな差異がその後を大きく変えてしまうことだってある。それに気がつくか気がつかないは時と場合によるが。

今書いているクローサーの原稿の口調が論文の序論みたいになってしまった。常に私の頭には教授がいて、誤字脱字のケアレスミスやら文体のおかしさを指摘している。文章を書く時はそれがあるからくるしい。卒論時期は軽くうつだったのだと思う。卒業して1年経っても頭に教授がいるのだから相当しんどかったのだろう。教授からしたら不出来な学生すぎて見ていられなかったのだろう、赤ペンの嵐と叱咤の連続。高校受験・大学受験を成績と小論文と面接でパスし、就活をしないことを選んだ私にとって、1st E.P.のリリースと卒論提出が同時期というのは、人生最大の試練と言ったらさすがに言い過ぎなのかもしれないが、苦労をしていたようでしてこなかったツケが回ってきたような気がした。周りの友人たちは非常に優秀で、助成金で研究をしたり卒論発表会のメンバーに選ばれたりしていた。そんな中私は提出することで精一杯であった。とりあえず提出はしてなんとかなったものの、卒論自体と注釈の再提出をすることになった私に残ったのは、教授が常に頭にいるという事実と教授へのメールの出し方、論文における文章の書き方などといったものであった。教授がウェブ上の私の文章を読むことなんてないのだろうが、なんだかいつも見られている気がして心がざわつきながらつらつらと文を綴るのだ。