2015/06/05

あきらめ

歌うのやめて世田谷線のアテンダントになろうかなぁとかぼんやり考えていたけど今年の募集は終わっていた。

可愛いとか可愛くないとか、そんな土俵でたたかわずに済んだらいいのに、才能が足りなすぎた。曲は沢山できるけど、発表できるレベルにもっていけない。iPhoneの録音ばかりがたまっていく。

こわい夢を見た朝の二度寝への恐怖と眠気の拮抗。運命は選べないようでいて、私たちは選択の繰り返しで生きている。わずかな差異がその後を大きく変えてしまうことだってある。それに気がつくか気がつかないは時と場合によるが。

今書いているクローサーの原稿の口調が論文の序論みたいになってしまった。常に私の頭には教授がいて、誤字脱字のケアレスミスやら文体のおかしさを指摘している。文章を書く時はそれがあるからくるしい。卒論時期は軽くうつだったのだと思う。卒業して1年経っても頭に教授がいるのだから相当しんどかったのだろう。教授からしたら不出来な学生すぎて見ていられなかったのだろう、赤ペンの嵐と叱咤の連続。高校受験・大学受験を成績と小論文と面接でパスし、就活をしないことを選んだ私にとって、1st E.P.のリリースと卒論提出が同時期というのは、人生最大の試練と言ったらさすがに言い過ぎなのかもしれないが、苦労をしていたようでしてこなかったツケが回ってきたような気がした。周りの友人たちは非常に優秀で、助成金で研究をしたり卒論発表会のメンバーに選ばれたりしていた。そんな中私は提出することで精一杯であった。とりあえず提出はしてなんとかなったものの、卒論自体と注釈の再提出をすることになった私に残ったのは、教授が常に頭にいるという事実と教授へのメールの出し方、論文における文章の書き方などといったものであった。教授がウェブ上の私の文章を読むことなんてないのだろうが、なんだかいつも見られている気がして心がざわつきながらつらつらと文を綴るのだ。